「そこそこの歳」で、おさらばしたい

間も無く、

数年生きていれば、

「80代」に、突入する。

 

一体誰の話?

というほど、実感が湧かない。

いつの頃からか、

「100年寿命」と、言われるようになり、

近年、

100歳など、珍しくもないのである。

 

「もう、60代です」と言えば、

「そんなん、若い若い!」

「もう、70代です」と言えば、

「後、30年はあるわ!」と、

驚きもしない。

 

100歳まで、生きれるとしても、

何一つ、残ってはいない。

「家は手放し」

独居暮らしの小さな住まい、

「想定外の長生きに」

預貯金は残らず、

「友人知人は」

認知症やら病気で会えず、

「勿論、仕事など」

あるわけ無し。

 

「そこそこの歳」で、

この世からおさらばしたいが、

そこそこは、何歳なんだろう?

自分のこともわからなくなるまで、

「生きとうないね」と、

皆、願ってはいるようだが、

 

長生きのための、

「運動やリハビリ」に通い、

サプリメントや健康食」に、お金をかけて、

「一年に一回の健康診断」は、欠かさない。

 

そうやって、

最後まで、「人生全う!」するために、

「ピンピンコロリン」が、

理想の形と、願ってるのである。

 

「雨が降ろうが、槍が振ろうが」

「生温かさの残る」

空気の中を、

「終わりそうもない」

春らしい雨が、降り続けている。

 

「金曜日か土曜日」にでも、

しっとり雨が降ってくれれば、

高ぶる気持ちが、

少し、押さえられて、

「心」、落ち着く。

 

「一週間のど真ん中」

水曜日の朝からの雨は、

なんだか、うんざり。

ため息混じりの、朝のラッシュに、

「おにゅー」の、春のブラウスも、

濡れてゆく。

 

「すこぶる若さ」が、

不愉快さを、払いのけ、

古い言い方だが、

「雨が降ろうが、槍が振ろうが」

やり遂げるぞという、決意が

明るい笑顔に、現れる、

 

四月はいいな!

やっぱりいいな!

昨年からの、ゴチャゴチャが、

色々あっても、

カレンダーを、一枚めくれば、

嬉しい赤い印が、ついている。

 

リセットされた世の中も、

「新しい顔」に変えられて、

「新しい街」に風が吹き、

これからの、若者を受け入れる。

 

まだ見ぬ、未来に、

願いを託して、

「貴方の夢」を、叶えてほしい。

 

赤い絨毯こそ、敷いてはいないが、

貴方たちの、先祖が、

通ってきた道。

 

後ろからくる若者たちが、

「怪我をしないよう」

「傷つかないよう」

「迷わないよう」

頑張ってきた年寄りも、いたことを、

忘れないでほしいと、願っている。

 

 

 

どこかに自分を「置き忘れてきた?」

寝ぼけ眼で、

テレビをつけると、

画面いっぱいに、

地震の映像。

 

見渡せば、

自分の変わりない状態に安堵はするが、

「またかいね!」、

あれ以来、

揺れ続けている日本は、どうなるのか、

南海トラフの前兆」であっても、

パニックになるので、

ギリギリまで、「真実は言えない」

 

小さい頃

マンションの自宅の隣同士、

あれから、私も引越し、

彼女も、結婚、子育てで、

「気がつけば」、

50歳を越えていたという。

 

ビジネスライク的な、相談もあり、

ご夫婦で来訪。

お互い、

すっかり変わっているのに、

「ちっとも変わってないわ!」と、

勝手な感想。

 

ビジネスの相談ではあったが、

職業柄、

「夫婦の問題が山積み?」

二人を見ていると、見え隠れして、

先に、解決はこっち?かなと、

勝手に想像。

 

人生、誰しも、

50年をこえると、悲喜交々、

「いろいろあるさー!」

何十年前、

ピンポンとなるドアを開けたら、

「おばちゃん、お話ししていい?」と、

たずねてきた、可愛いお嬢ちゃまも、

今では、三人の子持ち母となる。

 

「紆余曲折」が、

姿にも現れて、

思わず、抱きしめたくなるくらい、

影が薄い。

家族を大切にして、一生懸命、

生きてきたら、

どこかに自分を、「置き忘れてきた?」

 

日が暮れるまでには、

まだまだ時間があり、

居座っている不幸せは、

春の暖かな風で、吹き飛んでいく。

 

受け止める覚悟は充分出来ている、

私に、

綺麗な瞳から流れる涙と、

重い口から、

言葉が流れ始めたのである。

 

無駄に過ごした「我が人生」

やっと、春めいてきた、

青い空が、

中国からの風に吹かれて、

「黄砂の砂嵐」

 

「逃げようもない」

偏西風によって、

街は黄色に変化してゆく。

自然のなせる技で、いいようがない。

 

明日から、

「4月に変わるカレンダー」には、

ピカピカの一年生が、

学校に、会社に、

希望を背負って、現れる。

 

「思い通り」の、

自分の居場所を見つけた人、

「残念ながら」

思わぬ気持ちで、それでも前に進む人、

「見出せずに」

どこにも行かずに、自分と向き合う人、

 

振り返れば、

ついつい、「舌打ち」を、

したくなるほど、「悔しい人生」

いま、神様が、

「財か、名誉か、時間か」

どれでも、一つだけ、お取りと、

言われたら、

迷わず、「時間」を、掴み取る、、

 

一日、24時間、

一年、365日も、

「腐るほど」あったのに、

半分以上は寝て暮らし、

脳の中は、何にも埋まらず!

 

アーッ、勿体無い!勿体無い!

今更ながら、

したい事、やりたい事、

できる能力があったのに、

無駄に過ごした、「我が人生」

 

富める日本で、

のほほんと暮らし、

世の中のプロパガンダに、

うつつを抜かし、

「この世で、一番、大切な物は何?」

と、聞かれたら、

答えられない自分が、

「穴があったら」はいりたい。

 

「生きてる限り、

まだ間に合いますよ」と、

優しい声が、

どこかから、聞こえてくる。

 

娘時代みたいに「ケラケラと、笑ってる」

「幸せ」は、長くは続かず、

「不幸せ」は、長く居座る

と、言う言葉を、

昔どこかで聞いた様な気がする。

 

今になっても、

心から、その言葉が離れずにいる。

あの頃より、

「世界も、日本」も、無秩序になり、

個人の幸せ不幸せの前に、

地球自体が、バランスを崩した様に、

右往左往している。

 

個人的な、幸不幸を図れば、

他人から見れば、

苦労の連続で、

気の毒だなと感じていても

本人は、

「幸せ!」と、言い切る人もいる。

 

また、

「これ以上ない幸せ」に、

思える人も、

心に大きな、「不幸せの塊」を

抱えている人もいる。

 

私の周りは、

一見恵まれた人が、多くいたが、

何十年の付き合いの中で、

虚空のなかに、埋まっている。

 

数年前まで、

あれほど華やかで、

幸せを絵に描いたような人々が、

「歳」を重ねたことに、

「富」を失ったことに、

「家族」から離されたことに、

苦しんでいる。

 

「貴方は幸せそうね」と、言われると、

最近は、

否定しないことにしている。

「今は、貴方と会えたから、幸せ!」

と言うと、不思議そうな顔をする、

 

同じ時代を生きて、

今の様に、

何もかもが揃ってはいなかったけど、

「着る」お洋服も、

「食べたい」スゥィーツも、

「好きな人」に出すお手紙も、

みんな手作りだった。

 

瞼を閉じるだけで、

美しい髪を伸ばした、彼女の姿が、

浮かんでくる、

思い出話が、「幸せの証」となり、

蘇ってくる。

 

気がつけば、

二人は笑ってる、

あの時の、

娘時代みたいに、

「ケラケラと、笑ってる」

 

だから、

幸せは、探さなくても、

見つけなくても、

すぐ、側にいっぱいある。

 

 

「もったいない世界」が無くなる

最近は、

何でも、「個人商店」の様なことが、

可能になった。

 

私の親の時代は、

家に現金がなくなると、

母の嫁入り道具の中から、

着物が数枚、質屋で売られて、

お酒に代わると、聞いていた。

 

「質屋の暖簾」をくぐるのも、

当時は、

恥ずかしく、憚られたものであるが、

昨今は、違う。

 

質屋は、

「華やかなリサイクルショップ」に、変わり、

高価なものを取り扱う店、

はきさしの靴下でも、売れる店まで、

大きなスーパーと、

一緒に、並んでる、

 

「中古品が、お金になって嬉しい!」

そんな上手い話はない、

「古いだけでは、売れん!」

お店も、汚い使い古しは買わないし、

売る方も、綺麗にクリーニングして、

「少しでも、高く売りたい!」

 

駆け引き、

騙し合い、

知恵比べ、

店も持たずに、「叩き売り!」

何でもありで、

「生きてるもの以外」は、何でも売れる!

 

いまに、

生きてるものでも、

人間以外は、引き取ってくれる、

リサイクルの、

「アニマルショップ」が出来るかも。

 

長年、

「悲しい思い出」を、

エイヤーで、断ち切る為に、

「可愛がってきたペット」を、

事情があって、手放す為に、

 

売る方は、

少し、「気持ちは心許無い」が

買ってくれるリサイクルショップも、

ある意味、

「勇気ある」、貢献しているのである。

 

昔だったら、考えられない、

新しい仕事や商い、

年寄りが言っていた、

「もったいない世界」が、

無くなっていく。

 

「かつて、誰も味わったことのない」世界が見たい!

「夜明け前」の、

暗い夜空を、

ヘッドライトの光を放ち、

静寂な闇夜を、轟音を立てて、

突如、

雷が走りぬけてゆく。

 

最近は空がうるさくなって、

いつもなら、

もう半時間は、眠れただろうが、

頭が冴えてしまって、

寝直しはできない。

 

春が、

「居座る冬」を、追いやって、

「春よこい、早く来い」と、

歌う子ども達のために、

温かな風を、追い込んでくる。

 

「春が来る前」に

桜🌸が、満開になってはいけない!

おたまじゃくしが、

冬の間に突然変異で、カエルになる。

 

「春夏秋冬」のある風情を、

味わうために、

外国の観光団が、雪降る中を、

半袖に半ズボン!

パンフレット通りに、

ならない日本のお天気に、

ごめんなさい。

 

気の毒には思うが、

世界の端と端、

自然も、文化も違って、「当たり前だべ!」

 

一瞬で、

地球が小さくなったみたいに、

簡単に、どこにでも行ける様になった。

まもなく、

宇宙旅行」も、夢ではない。

 

多分生きてるうちに、

宇宙ロケットに、乗れるとは思わないが、

昔の人たちは、

あの世は、天高くあると思って、

天を仰いで、

亡くなった人を偲んでいたが、

 

天国に召されるのではなく、

あの世など、ない事を、

こちらから、確かめに行くなど、

誰一人、想像すらしなかったはずである。

 

人間が、

アバターになったり

AIロボットが、

本人に成り変わってくれる、

世の中になるまでには、

私は、

残念ながら消えてしまうけれど、

 

地球も宇宙も、

「かつて、誰も、味わったことのない」

世界を見てみたい!

早く、生まれ過ぎた事が、

残念である。