兄弟(姉妹)は、やっぱり他人

母親が、思春期の子供4人を残して、

亡くなった。

若い父親は、我慢出来ず、

一年も経たないうちに、再婚した。

 

間を取り持つ母親がいなくなり、

親対子供達と言う境界線が出来たのである。

 

本当の母親がいないという共通点で、

子供の頃は、仲は良かったが、

絆を繋げる母親がいなくなり、

其々が、自分のことだけを考える大人に、

育っていった。

 

「この家を、出る事」

家出ではなく、正当な理由で出る。

が、目的となった。

 

長女は、とりあえず結婚、

長男は、就職、

次女は、海外へ、

三女は、何も言わずに、旅へ出たまま、

二度と、家には戻らなくなったのである。

 

兄弟(姉妹)って、

近くて、遠い関係。

本当のことを言うと、親にばれる。

一人勝手にすれば、連帯責任になる。

歳が違うので、相談に乗れない。

という事で、微秒な関係論がある。

 

同じ親の血が流れているので、

容姿は、どことなく似ているが、

鵜飼いに繋がれていた紐が、

アクシデントにより、解き放されれば、

強くなるためには、手段を選ばない。

 

もはや、帰るべき家を失った人間は、

心の拠り所も、いつの間にか消えている。

外に求めても、所詮は他人、

内には、身内という他人がいる。

 

一人で生きて、見つけた居場所が、

自分の家族となり、元家族とは、

家系図の中で、ライン関係。

 

「兄弟(姉妹)は、他人の始まり」

と、昔から言われてきたが、

身内だけで出来上がる、村社会から、

地域、国家と成長していく過程を考えれば、

致し方ない事。

 

親が子を産み、その枝葉が源となり、

新たなる無限の広がり。

親と子の上下関係は、否が応でも、

永遠であるが、

兄弟姉妹の横の関係は、

どこまでも、交わることはない。

 

と、思えば、

歳を経て、兄弟姉妹が、

バラバラになっても、悲しくはないのである。