「貴方の人生まで、知らんがな」

我が子に、

「生まれて来て、良かった?」

なんて、

死ぬまで、怖くて聞けないだろう。

 

たとえ、

「大喜び」されても、信じがたいし、

「思いの丈」を、叫ばれても、

弁解のしようがない。

 

振り返れば、

我が子の、幼かった時の可愛さや、

純粋な心模様を、思い浮かべて、

「良き事」だけを、残しておきたい。

 

しかし、

思い通りにならないのが、

人生であったり、子どもの事である。

誰のせいでもなく、

「何本もある」分かれ道を、

自分でチョイスして、

今の子供達は、歩んでゆく

 

長く続いた、

平和を打ち破るような、

混迷の時代がやってきた。

「幸せで言うことなし!」と、

言える人など、今は少ない。

 

「結婚、出産、育児」

まるで、人生の法則のように、

なっていた、「女性の使命」

 

この人の子供を、

この家系の子供を、

「切なる思いで、産みましたか?」と、

問われれば、即答出来ず。

 

もっと昔は、

「産めよ、増やせよ」と、

軍国主義が遂行されて、

現代もまた、形を変えた、

「産めよ、増やせよ」が、

水面下で、流れている。

 

だからと言って、

大切に育てられたかといえば、

「敗戦」になり、生きていくことさえ、

ままならぬ時代。

 

国民達の

「怒りと恨み」は、エネルギーとなって、

「武士道の教え」が、教養となって、

世界の経済戦争に、抜きん出たのである。

 

そんな先人達の、

成した業績は、

三世代、100年近い時間を、

完璧な平和の世界を、

確約したのである。

 

「我が子や、孫を幸せにしたい!」

自分達の苦しみの反動が、

現代の、

子ども達や若者に反映している。

 

歌舞伎役者の市川猿之助の、

両親の自死事件。

アカデミックな医師である、

娘に対する歪んだ愛が、

殺人にまで、発展する、世の中になった。

 

子供達の、

悲しい事は、聞きたくなくて、

苦しい事は、見るのも嫌で、

子供の弱い心に翻弄されて、

命さえも、疎かになる。

 

ひょっとしたら、

近代の親の心の中に

市川猿之助の親」だったり、

「歪んだ娘の精神科の医師」

が、潜んでいるのかもしれない。

 

親兄弟姉妹、家族でも、

命は別物、

人生はそれぞれ、

「道連れ」に死ぬなんて、

もってのほかである。

 

我が子から、

「自分の人生」

不甲斐ない親のせいといわれたら、

「貴方の人生まで、知らんがな!」と、

言えるくらいの親でありたい。