暴力ではないDV

怒りや腹立たしさは、

一番近しい人に向かう。

罪のない子供達に、

壁にぶつけた反動のように、

刃が刺さるのである。

 

悦びは、我が事だけで抱え込み、

苦しみは、自分の腹で消化できずに、

ゲロの様に、所構わず、吐き出すのである。

 

遡れば、

そういう人の人生も、

人から、煮湯を飲まされてきたか、

もしくは、

親から、舐め回されて、育った人である。

 

暴力、暴言だけが、DVではない。

静かに、触れもせず、

存在を無視することも、

いちばんの、虐待である。

 

何もしていないのに、罪をかぶせられ、

父親から叱咜されているときに、

母親も、兄弟姉妹も、

俯いてる様は、悪魔が笑っている。

 

怒られている子の心に不信が、生まれ、

俯いている家族の心に、醜悪が蔓延る。

いつのまにか、集中攻撃される配役は、

決まってゆく。

 

親戚縁者や知り合いにも、

真実は語らず、

「この子は言うこと聞かへんから!」

「この子は変わってるから!」

と、笑いの中で、消してゆく。

 

本人の前で悪口を言うのは、

ましかもしれない。

伝言ゲームの様に、

フェークニュースとなって、広がる。

 

親も亡くなり、

本人も、歳を重ねてから、

「知らんかったわ!そうやったん!

あんたの親から、そう聞いてたから、

ごめんねー」と、とぼけられても、

こちらも、人生終わりかけである。

 

もちろん、暴力は許せないが、

真綿で首を絞める様に、

人を陥れていく場合もある。

 

幸せな家族、

温かな家庭、

外から見ているだけでは、

わからない世界が、潜んでいる。

 

社会の中でも、起こっている事は、

家庭の中でも、起こっているのである。