親は他人の始まり

親を好きな人、嫌いな人は半々くらいである。
子供の様な言い方であるが、本当の子供なので、致し方ない。
「お父さんは?」
「嫌い!」
「お母さんは?」
「好き!」
私も簡単に答えれる。
今で言う「虐待」となると、好き嫌いでは済まされない問題である。
親の支配と権力が横行する。
親を嫌い同士が集まると、すでに亡くなっているにもかかわらず、恨みつらみの言葉が、何十年前のことでも、生々しく蘇る。
それは、親に愛されなかった故に、協力を得れなかった故に、自分の人生に大きく影響し、思い通りならなかったからである。
子供の言葉は頭から否定、無視であり、
「自分の食いぶちも作れんやつが、だまっとれ!」
と言われたら、子供は言いようがないのである。
成人して、稼げる様になるまでは、忍の一字では、希望も目標も立てることはできず、親の引いたレールに乗るしかない時代であった。
「なんで、お兄ちゃんだけ?」
「なんで、お姉ちゃんだけ?」
親の身勝手な想いだけで、差別されてる意味がわからず、待遇が違うことに、純粋である方は気がつかないのである。
このえこひいきは、遺産相続の時に明らかになり、自分だけが悪いくじを引かされ、罠にはめられていたことを知るのである。
一人っ子だと、構われ過ぎても、ほったらかされても、自分しかいないので、親と合わなければ最悪である。
また、二人兄弟だと、他人の嫁が二人ついた頃から、おかしくなる。
三人だと、上の子下の子は、それぞれ親の気持ちが二人に向かうので、真ん中の子は忘れられる可能性は高い。
四人だと、男女の比率が、男一人の場合は、確実に跡取りとして、お殿様に育ってしまう。
後の女の子は、嫁に出すから、お金がいるので、気持ちは乗らない。
と言うことで、
「子供は何人いても、みんな可愛い!」
は、綺麗事、嘘である。
意見を言う様になって、生意気になってくると、親も人間あからさまに態度は変わって行く。
悲しいかな、
「生まれ出ずる国も、家族も選べない」
と言うことで、それが運命であり、その上に因縁も重なり、
「親でも、一生、会いたくないわ!」
と言う羽目に陥ってる人は、ほぼほぼ存在している。
深い悲しみである。