「天然」と言われて

小さな頃、

親や親戚から、いつも、

「あんたは、天然やから」と、

言われてきた友人がいる。

 

幼い頃は、意味もわからず、

素直で、明るい子供だったらしい。

成長するにつれ、「天然ボケ!」とも、

言われ、少しずつ傷ついていったと言う。

 

運動神経抜群で、

スポーツは、何をやらしても出来た!

いえ、出来てしまうのである。

教えられると、

躊躇なく、失敗を恐れずやってしまうので、

アスリートに近いひとである。

 

むしろ、私からすれば、

「天然」は、

可愛いとか、マイペースとか、

その程度にしか、理解していなかったので、

友人が、密かに苦しんでいた事に驚いた。

 

慰めるつもりはないが、

私などは、

「はしこい子」とか、「作為的」とか、

父親が、レッテルを貼り、

親戚中に広まっていった。

 

「もうちょっと、言い方ないんかい!」

と、私も反対の意味で傷ついていた。

 

子供のくせに、生意気なことを言う、

親から見て、可愛げない、

とか、思われていることを、

悲しみとして、成長した。

 

 

「はしこい子」を、「賢い子」に、

「作為的」を、「計画的」でも、

言ってくれていたら、

私の性格も、人生に活かせたかも知れない。

 

お互い、それぞれ、

一生懸命生きて、歳を重ね、

今、振り返れば、

「一番の長所だったね!」

と、言い合えるようになった。

 

「天然」の彼は、素晴らしいアスリートに、

「はしこい」私は、専門の講師になった。

私たちにレッテルを貼った人達は、

残念ながら、もう、この世にはいないけど、

子供達に、レッテルを貼る事だけは、

二人は、

決してしない人間に、なったのである