元来、情が薄い人間なので、
家の中に、
小蝿や、正体不明の虫が、侵入してくると、
即座に、ティッシュで、
「消してしまう」
一瞬、罪悪感はよぎるが、
何故か、ホッとする。
昔から、
「一寸の虫にも、五分の魂」
という言葉があり、比喩例えとは言え、
自分の中の残虐性に、ちょっと反省。
幼かった頃、
家の玄関の真上に、大きな桜の木があった。
当時は、防虫剤もなく、
花が散って、葉桜の頃に、
うじゃうじゃと、毛虫が大量発生。
出入りのたびに、怖くて、
その上、男子生徒から、
毛虫を首元から入れられた思い出もあり、
「好きにはなれん!」
よって、
空き缶に、お箸で毛虫を一杯いれて、
火をつけて、燃やしたことがある。
「可哀想やん」
と、妹の言葉も遮り、決行した、
大人になって、
生命体の生と死を、理解できた時に、
地球上に、命を与えられた生物は、
それぞれに意味がある事を知った。
ただ、
缶かんの中の真っ黒になった毛虫を、
見た時に、
「死ぬ」ってこうなるの?
姿形が無くなる事に、切なくなって、
もう、二度としないでおこうと、
心の片隅にとどめたのである。
あれから、数十年、
優しい妹は、
小鳥や虫や蛇達と、言葉を交わしながら、
幸せに暮らしている。
残酷だった私は、
都会の中で、虫を見たら、
「キャー!」と逃げ回る、生徒を相手に、
人の命を預かる有資格者を、
教える講師になった。
人生の中の、
どの場面も、貴重な思い出であり、
良きことも悪しきことも、
学びとなることは確かである。