小学校、中学、高校時代、
私は、一度もいじめられた覚えがない。
小さい頃から、マイペースだったので、
お友達を作りたいとか、
先生に気に入られたいなど、
考えた事はなかった。
「人をいじめる」
と言う言葉自体が、脳裏になかった。
今から、考えれば、
誰かが私をいじめていたとしても、
気がつかなかったのかも知れない。
男の子のように元気で、活発だったので、
男の子のからは、相手にされず、
女の子からは、標的にはならない。
いつも、そう言うグループからは蚊帳の外。
あちら側からすれば、「仲間外れ」でも、
こちらからすれば、「入りたくないグループ」
と、うまく合っていたのである。
だから、
私には、小、中、高、大学を通して、
「親友」がいないのである。
大人になっても、付き合う友人がいない。
でも、寂しくもない。
時々、相手が、私を「親友」と呼ぶので、
「いつから!」と、言いたくなる。
私にとっての人間関係は、
皆同じ距離感である。
好き嫌い、合う合わないは多少あるが、
この世で出逢った「知り合い」である。
と、言うような人間が、
人の聖域に関わる仕事に就いた事が、
不思議である。
常に、私と相手との間には、
テーブルか机が、置かれていた。
先生と生徒、
相談員と、困窮者、
その時から、ソーシャルディスタンスは、
取らねばならなかったのである。
何故に、その様な仕事に就いたのかを、
紐解き出したら、解明したのである。
私は、最も親しい身内から、
差別を受けていたからである。
他人からの意地悪や差別くらい、
「大した事ないかも」
と、防御本能が身についていた。
原因は、
私だけが、二重瞼であった事、
自分の意見を言えた事、
父親の支配と権力に、抵抗した事、
数え上げたら、きりがないほど、
家族の普通という概念から、外れていたから。
黒人の中に行けば、私は白人になり、
白人の中に行けば、私は黄色人種である。
差別もいじめも、そこから始まる。
「普通」を、誰が決めるのかは知らないが、
多くの日本人の中に、横たわる「同調圧力」
私ではない私に作り上げられる恐怖、
その螺旋に巻き込まれていく人は、
命までも失ってゆく。
この素晴らしい地球に生まれ、
美しい自然の中で、すくすくと育ち、
「生まれてきて、良かった!」
と、思える国でありたいと願う。
先に生きてきたものが、
本当のことを伝えねばならない義務がある。