「私らしさ」は断捨離出来ない。

私のガラクタを、

残してはならぬと、

断捨離初めて、早、5年は経つ、

 

周りはまたかと、

笑っているが、

本人は、真剣である。

 

この激動の時代に、

追い詰められる様に、

ますます、拍車がかかり、

捨てたり、あげたり、売ったりに、

「クソ暑い」中、

バタバタと、1日が過ぎる。

 

これだけ、片付けても、

クローゼットの中は、

未だ、「思い出のドレス」は、

処理できずにいる。

 

段ボールに詰め込んだ、

「怪しげな書類」も、

もしもの時に、必要ではと、

捨てきれずにいる、

 

それでも、

「すっきりしてるねー!」と、

友人達には、言われるが、

裏には、

ドッサリ、金銀財宝ならぬ、

ゴミの山がある。

 

最近、

捨てきれない

「私らしさ」を、抱きしめて、

心が揺れている。

 

消しようのない、悲しい思い出も、

温かさの残る、嬉しい思い出も、

棺の中には、入りきらずに、

誰かの、思い出の中で、残ってる。

 

私の中の、

「私らしさ」は、

私が死んでも、

共に生きてきた他者の中で、

生き続けてゆく。

 

「私らしさ」は、

私一人で、決めれない、

関わった人の心の中の、

「本当の私」は、

断捨離する事が、出来ないのである。