「静かな休日」があっても良い

毎日が、

「ホリデー」なのに、

何だか、

皆んなが、ホッとする、

「休日」は嬉しい。

 

春の休日は、

どこに行っても、

「ウララ、ウララ」と、

厳しい冬を越えて、

心が、温まる。

 

暴露の時代の中で、

多くの、若者達は、

傷つき、落胆し、畏れさえも、

感じている。

 

「大人」になる夢が、

現実の世界の中で、

壊れてゆく。

「夢」は「夢」でしかない事を、

悟ってゆく。

 

憧れの、スポーツマンの、

組織の不正、

優秀なビジネスマンの、

大企業の経済破綻、

自由な恋愛すらも、

少子化」への、責務と不安、

 

「錯覚」を、

現実と見間違え、

スマホの中のゲーム、

闇の求人広告に、

「心が彷徨う」人もいる。

 

人を、

「信じなさい」と、教えられ、

「正義」

「努力」

「誠意」は、

無用の長物に、成り果てた。

 

子供達に、言い続けてきた、

大人達でさえ、

「疑心暗鬼」の中で、

迷い始めている。

 

揺れ動く、

混迷の時代だからこそ、

子供達には、隠さず、

「真実」を、伝えなければならない。

 

「春の休日」

小さな手を、引いて、

大きな宇宙を見上げながら、

止まらない

地球の回る音を、聴きにいく、

静かな「休日」が、あっても良い。