「背中合わせ」の不幸せを忘れない

野球のことは、知らないが、

「大谷君」のことは、知っていると、

いう高齢者はいる。

 

私たちから見れば、

あれほど、「笑顔の似合う男の子」は、

見たことはなかった。

 

たいがい、

人間、何か一つくらいは、

「欠点や、文句」も、

聞こえてきそうなものだが、

今のところ、微塵もない。

 

たいがいの、

人の親達は、

大谷君の様な子を育てた、

「親の顔が見たい」と、願うが、

こういう立派な人の親は、

「しゃしゃりでない」と、決まってる。

 

「大谷君」は、

夢のまた夢であって、

「基準」にはしてほしくない。

そうなると、

子供から、文句も出るし、

親からは、希望が失せる。

 

という事で、

「大谷君」からすれば、

色々、言われる事の

良し悪しもあるだろうし、

いつまでも

「君付け」もかなわない。

 

その内、

「パパ」にもなるだろうし、歳も取る

当たり前に、

「家族の揉め事」もあるだろう。

 

世界中が、

低迷している世の中で、

「彗星の如く」現れて、

「希望の光」となって、貢献されたことは、

確かである。

 

それでも、

野球の裏側の、

テレビのチャンネルを変えれば、

「国を破壊」され、

「家も失くし」、食べるものもない中で、

「死んでゆく人々」の、

悲しい映像が、映し出されている。

 

同じ時代の中に、

「背中合わせ」の、不幸せがあることを、

決して、忘れてはならないのである。