「QOL」より「QOD」を考える

最近は、

「QOL」より、

「QOD」を、

言われる様になった。

 

簡単に言えば、

「良い暮らし」と、

「良い死に方」

簡単に言えば、そう言う事である。

 

日本には、

これといった決められた宗教もなく、

「死」は、忌み嫌うものであり、

あまり、

公の席でも、個人的な場面でも、

触れない人たちが多い。

 

世界のどこを探しても、

これほど、

「高齢者の比率が高い国」は、珍しい。

 

目の前に、

あの世がある高齢者に、対して、

「100年寿命」

「生きがいのある暮らし」

健康寿命」など

希望の持てる言葉が、飛び交っていた。

 

介護保険なるものが、

社会保障制度の中に、できてからは、

厚生省管轄の、資格や施設が、

次々と、軒並み出来た。

 

昔は、否が応でも、

祖父や祖母は、最後の日まで、

「同居」であったが、

現代では、

「どこの施設に入る?」が、

当たり前になった。

 

高齢者にとって、

本当に、

介護保険」が、自分たちを守り、

思い描いていた、

理想の「QOD」であったかは、

私自身も含めて、疑問であった。

 

とってつけた様に、

「自己決定」と、いわれて、

人生最後は、

「自宅で?」

「老人施設で?」

「病院で?」

それとも、お金があれば、

素晴らしい、ホテルの様な、

「有料老人ホーム?」

 

もし、自分が高齢者になれば、

「どこで死にたいか」ではなく、

残された時間、

「どう生きたいか?」

が、私の自己決定である。