恥ずかしくて「愚の根も出ない」のである。

「神のなさることは、

すべて、時に叶って美しい」

 

究極の悲しみに、

打ちひしがれている時、

クリスチャンの知り合いから、

こんな

聖書の言葉が与えられた。

 

やっぱり、

時が来なければ、人は気付かない、

「今より早くても、遅くても」

人は気づかないのだなと、思う。

痛いお勉強が、今も、続いている。

 

幼い頃から、

お嬢様だったから、

何一つ困らなかったから、

歳を重ねて、やって来た苦労に、

七転八倒

 

「苦しみを越えて」という、

祈りの一部が、送られて来た。

 

健康を求めたら、

より良いことができる様に、

「病気を、頂いた」

富を求めたら、堅実になるように、

「貧困を、授かった」

成功を求めたら、神を求める様に、

「弱さを、授かった」

人生のあらゆるものを求めたら、

喜びを味わえる様に、

「命を授かった」

 

文句ばかりの自分が、

恥ずかしくて、

「愚の根も出ない」のである。