認知症は自然の摂理

「免許証は、返納しないけど、

そろそろ、車の運転やめるわ」

と、80代の知り合いから、よく聞く。

 

身内からは、止めるよう言われてきたが、

便利なのと、運転が苦にもならずで、

しぶしぶやめるらしい。

 

「もう、運転歴、65年よ!」

大型トラックのおっちゃんより、

運転は上手だと、自画自賛

 

頭はボケても、

昔取った杵柄は、衰えない。

元、ドクター

元、大工

元、看護婦長、

元、ヤクザ

 

哀しいかな、

年を重ねるほどに、忘却は進み、

脳の機能は低下していく。

家族の名前はもとより、自分の名前も、

忘れてしまう。

食事を済ました後でも、

「今日のご飯はまだかいな」

 

もちろん、新しい言葉や出来事など、

全く、記憶には残らない。

しかし、

何度も何度も、繰り返されてきた行動は、

はっきりと刻み込まれて、覚えている。

 

元ドクターには、

「先生!トイレにいきましょう!」

と言えば、名前を言うより反応がある。

元大工さんには、金槌と釘を渡せば、

あっという間に、棚くらい作ってくれる。

元、看護師長に、病名を尋ねると、

スラスラと、説明される。

 

そして、元ヤクザのお爺さん。

全身、唐獅子牡丹の見事な刺青、

「立派な刺青ですね」

と言うと、恥ずかしそうに笑うのである。

 

それぞれに、栄耀栄華の時代があった。

取り戻すことの出来ない過去の時間。

忘れて幸せな人。

死ぬまで、大切にしてきた思い出。

 

長生きすれば、必ず、大なり小なり、

認知症と言う、切なさには出会うだろう。

タイルがゆっくりと剥がれるように、

生まれた時まで、元返してゆく時間。

 

邪神も無くなり、悪意も無くなり、

憎めない人となりに、過ぎてゆく。

後を振り返れば、

見守り、見届けてくれる人がいる、

そんな老人に、私はなりたい。