死ぬほどの疲れは健康の源
一ヶ月に一度、
「ドライブ」に誘い出してくれる、
ボーイフレンド?がいる。
隣に婆さん乗せて、嬉しくもないだろうが、
脚が痛いやら、腰が痛いやら、
ぶつぶついってる私に、ストレス発散を、
体験させてくれる。
降りしきった雨のおかげで、
澄みきった空、瑞々しい樹々、
生き生きと咲いている花々。
気がつけば、
普段、うつむきかげんの私が、
車窓から見える景色に、溶け合ってゆく。
目的地に着けば、
人々の往来に、色とりどりの雰囲気に、
脳内物質セロトニンが、分泌し始める。
海に向かって、3時間、
山へ向かって3時間、
フロントガラスと向き合って、
言いたい放題の6時間。
飛行機ならバンコクまでのフライト時間。
家にたどり着く頃には、黄昏時。
楽しかった時間の疲れが、
夜になって、どっと出る。
「やっぱり、歳やわー」と、独り言。
もはや、一歩たりとも動けずに、
仰向けになったまま、
地球のベットに横たわり、眼を閉じる。
身体も脳も、ピタリと停止。
地球の回る音を聴きながら、
疲れを堪能する。
「疲れたら、なーんにも考えられなくなる、
だから、ストレス解消!」
といった友人の言葉を思い出す。
無理なこと、出来ないことを引っぱり上げ、
次なるステージに向かう。
「無理しないでね」
「お身体、お大事にね」
は、高齢者には、お悔やみ言葉。
「死ぬほどの疲れ」は、
私にとっては、健康の源になるのである。