聖書で英会話

中学生の頃

芦屋川に沿って、有馬に抜ける道路があり、

もちろん歩道もあり、

芦屋の山手、素敵な家が並んでいた。

 

洋館建ての小さな家があり、

玄関先のポストに、

「英会話教えます。500円」

と書いてあった。

 

怖いもの知らずで、

知らない人の家を訪ねるのは、

かなり、びびる話ではある。

 

「ピンポーン」

出てきたのは、初老のお爺さん。

「英会話教えてください。」

大きな目をした女の子が、

挨拶もなく、唐突に「頼もう!」

 

びっくりもされず、ニコニコと、

お部屋に案内され、

大人の人たちが数人集まって、

勉強中。

 

小さなグリーンの本を差し出された。

もちろん、表紙には英語、

中を開けても、英語、

何が書いてあるかわからんけど、

「まあ、いいか!」

 

今日から、

「English  Canversation」

ちょっぴり大人になったつもりで、

嬉しくて、真面目に通ったのである。

 

通ううちに、さすがの私も、

「なんだか、変!」

に気がついたのである。

登場人物は、

「Jesus  Christ、」

つまり、「イエス キリスト」の

新約聖書を、一生懸命勉強していたのである。

 

気がついたときには、

仲良くなった皆さんと、

お茶をご馳走になったり、

賛美歌を歌ったり、

すっかり仲間に入っていて、

いまさら、「足抜け」はできそうもない。

 

結局、中学を卒業するまで、

ご厄介にはなったが、

学校の授業には、役だったかは疑問である。

 

そこでは、一切の日本語は使えず、

分かったふりしていた自分がおかしいが、

神様の話は、

日本語でも英語でもヘブライ語でも

魂に語りかけるもので、

「オッケー!」と、解釈した。

 

数年後、

その家の前を通ったとき、

三角屋根のてっぺんに、小さな十字架が、

輝いていた。

私は、これを見落として、

知らずに、お世話になったのだと

恥ずかしくなった。

 

でも、これが本当の神の思し召し、

だったとしたら、恩恵を受けたことになる。