当たり前の幸せ

一日の終わり、

夜、温かなお風呂に入ると、

反省と感謝の時間になる。

 

政府のコロナ対策に、腹が立ったり、

感染数や死亡者の数値に、不安になったり、

思うようにならない世の中に、憤ったり、

何にもしないのに、神経が疲れている。

 

お風呂は、

ただ、清潔を保つだけのものであったが、

今は、唯一の癒される、貴重な時間である。

 

温かさの中で、

身を委ね、目蓋を閉じれば、見えて来る。

「幸せになりたい」と、

がむしゃらに生きてきた自分がおかしい。

 

私は、何を望んできたのだろう、

お金?地位?名誉?

そして、愛なのか?

こんなにも、無条件で、気持ち良い幸せが、

あった事に気づかされた。

 

漠然とした、不確かなるものではなく、

もっと、現実的な、確かなるものを

追い求めてきたはずが、

年を重ねていくたびに、消えてゆく。

 

長い人生の中で、

泣き笑い、憤怒してきた歴史。

頭の中には、カテゴリー別に、

整理整頓されていた想念は、

優しい温もりの中で、溶けてゆく。

 

刃物のような感性も、

音符のような、メロディーと、

羽のような、自然の風で、

いつのまにか、風化してゆく。

 

書き綴ったキャンパスは、

色とりどりの、虹色の筆の跡。

 

凍るほどの、冷たさも、

温かなお湯で、手を洗い、顔を洗えば、

幸せになれると、教えてくれていたら、

こんなにも、遠回りはしなかった。

 

当たり前のことには気づかずに、

遠回りの時間を、積み重ねて掴む幸せは、

とっくの昔に、手に入れていたのである。