悲劇も、希望も伝えていく使命

この時代に、この状況の中で、

まだ、生きている事が、不思議である。

 

マスク、手洗い、自粛など、

個人の素人的な、感染対策だけでは、

目に見えない強烈なウイルスの侵入を、

防げるなど、奇跡である。

 

決定的な持病はなくても、

高齢と言う事だけで、基礎疾患である。

普通に生活している事で、精一杯。

免疫力があるとか無いとか、

以前の問題である。

 

ある医療の権威ある専門家が、

「このままいけば、日本人40万人が死ぬ」

と、提言されている。

毎日、報道される数字を見ても、

法則でいけば、無きにしもあらず。

信憑性は高い。

 

若者達が、

「かかっても、怖く無い」

と言うのは、よく分かる。

私が、30代でも同じだったと思う。

 

インフルエンザが流行ろうが、

奇妙な疾病が、現れようが、

遠い話で、生きてきた。

50代位までは、

ほぼ、病気や死が近しいものでは無い。

 

現実的には、切実な事態ではあるが、

自分事として、ピンとは来ないのである。

高齢者と若者では、

コロナに対して意識が違う。

 

今の若者も、いつの日か、

「若い頃、コロナって怖い病気が、

流行って、大変な時代やった」

と、子や孫に、聞かせる日が来るのだろう。

私達が、

戦争にも行かず、あの原爆の悲劇を、

味わわなかったように。

 

一発では言うことを聞かず、

二発までも、この小さな国に落とされて、

敗北を認め無ければ、

今頃は、日本という国の存在はない。

 

多くの命の犠牲があって、

自分の命が救われている事を、知るのである。

悲劇も、希望も、

伝えて行くのが、高齢者の使命である。