若者達の静かなるデモ

もはや誰のせいでもない、

飲食店のせいでもなく、

夏休みのせいでもなく、

若者達の外出のせいでもない。

 

ここまで、感染拡大が起こる事は、

誰しも、想定内であったはず、

政府が出してきた対策は、

次々と失敗を繰り返して、今がある。

 

誰かのせい、何処かのせい、何かのせい、

最後は若者達が感染源とまで言う。

メディアを手なずけ、

オリンピックムードの中で、

「あっち向いてホイ」式の、

プロパガンダは、もう通用しない。

 

今も昔も、若者達は変わらない。

酢いも甘いも噛み分ける様な、

狡さなどなく、

真っ直ぐに、物事を見ることが出来る、

純粋さがある。

 

どれほど、科学が進歩しようが、

社会や環境が変わろうが、

人間の質は、そう簡単には変容しない。

 

たとえ、

戦争という恐怖を経験しなくとも、

自分たちの身体の中に、

経験した人々の血の一滴が、

脈々と流れている。

 

あのプロパガンダで、国に殺された、

自分と繋がる大切な人たち。

だから、争わない!

二度と、あの悲劇を繰り返しはしないと、

魂が知っている。

 

武器は持たないけれど、

理不尽さに立ち向かう勇気と決意が

今の若者達の魂に宿っている。

戦争で命を失うのは怖い、

コロナで命を失うのも、同じ程に怖い。

 

でも、

大切なものを蔑ろにする、

日本のリーダー達の姿を見て、

「静かなる決意」が、

心の何処かに芽生えたのかもしれない。

 

若者達は、

たとえ、コロナにかかっても、

大切なものを、失いたくないと、

彼らなりに信じている。

静かなるデモが、動き始めている。

 

遅れた国の、

遅れた人達が、

遅れた方法で、

未来を作れるわけがない。

若者達こそが、未来である。