犬の寂しさを補う私がいなくなったら。

お部屋の中に、

朝の太陽の日差しが、

当たるポジションに、ソファがある。

 

家事一般終了!

そこの特等席に、座って、

音量を消したテレビをつけて、

スマホやパソコンを見る、ながら族。

 

仕事を辞めてからは、

人間関係も、数少なく、

コロナ禍もあって、

山ではないが、仙人暮らし、

 

元々、

「寂しい」感情が薄いのか、

一人暮らし、

単独行動、

は、あまり苦ではない。

 

仕事で疲れて帰ったら、

「家族の顔を見て、ホッとする」

と、言ってた男性の気持ちが、

よく分からん。

 

何か特別な事で、成功したりすると、

「ここまで来れたのは、親のおかげです」

と、言ってた人達の気持ちが、

よく分からん。

 

絵に描いたような家族でもなかったし、

一家団欒が楽しい家族でもなかった、

そんなトラウマが、影響しているのか、

寂しさには、辛坊強い。

 

幼い頃、

段ボールの箱に、捨て犬がいて、

よく家に持って帰ったことがある。

「捨ててこい!」

父に怒られるのを覚悟で、

納戸で、隠れて飼ったこともある。

 

「私の中の寂しさ」を、補っていた。

のは、犬だったと思う。

今でも、

「犬が飼いたい!」と言っても、

誰も賛成はしない、

 

一人暮らしの高齢者が、

動物を飼うのは、禁句であり、

私が先に逝く可能性もある。

「犬の寂しさ」を補う私がいなくなったら、

可哀想だもん。

 

でも、

この日の当たる、温かなソファに、

一人と一匹が、

肩を寄せ合い、座っている夢を、

時々、見ることがある。