「無茶苦茶」を受け止める人

人は、

たまに、「無茶」をする。

と言うより、仕掛ける。

 

あの人、「無茶苦茶やねー!」

と、人は言う。

漢字通りに解釈すると、

人にお茶を出さない。

出しても、苦いお茶を出す。

という意味?

 

「えげつない」事のように思えるが、

人は簡単に、一部を除いて、

やってのける。

 

何に腹が立ってるのか、

外的要因、内的要因、

定かでは無いが、

「無茶苦茶」言ったり、やったり、

手がつけられない。

 

本人にすれば、

その後は、意外とスッキリして、

ケロリン」とするが、

時間が経つほどに、自己嫌悪に陥る。

 

物にあたるのは、まだ許されるが、

人やペットに当たると、

良心の立ち直りに、時間がかかるし、

悪循環になって、

ますます「無茶苦茶」な人になる。

 

言葉の「無茶苦茶」を、

言ったものの、後戻りができず、

抜いた刀は戻せなくなる。

 

若い頃は、

親や友人に、甘えて、

「無理、無茶、無作法」をするが、

歳と共に、

世の中、人間の本質が分かり出すと、

そうそう、無茶は言わなくなる。

 

諦めと忍耐が、

否が応でも身について、

「損得勘定」と「忖度」が身について、

「ハイハイ、御無理御尤も」と、

交わせるようになる。

 

いつのまにか、

「無茶苦茶」とキャチボール出来るほどに、

成長する。

「無茶苦茶」を受け止めてくれる人が、

いるからこそ、

人は「無茶苦茶」な人には、

ならないのである。