危険意識を持って生きる

「生きていて、当たり前」

を、打ち砕かれる年であった。

 

命など、

簡単に、儚く消えていくものだと、

嫌というほど、味わった。

 

若い頃には、

心臓が動いていることさえ、

気づかずに、生きていた。

 

「死ぬ事」を想定しない日々の中で、

「死ぬ以外の事」の悩みに、

翻弄されながら、生きてきた。

 

安全で、安心、

その上、平和な国の中では、

目的は、「生きる」事にはならず、

お金、地位、名誉が、

「幸せの条件」となる。

 

自分の周りで、

悲劇など起こらない限り、

「死を伴う」悲惨な出来事は、

他人事である。

 

友人達と、

美味しい料理やお酒を飲みながらも、

「コロナ、大丈夫やろか」

と、頭の片隅に不安がよぎる。

 

朝の電車で、通勤、通学しながら、

「危険な人はいないか」

と、疑心暗鬼に囚われる。

 

常に、「危険意識」を、持ちながら、

暮らす事は、重要である。

「野放図」な暮らし方は、

変えてゆかねばならなくなった。

 

国や親から守られる事が、

当たり前だった子供達にも、

世の中で起こる、

悲劇や真実を伝えて、

 

自分の命は、自分で守る事を、

教えていかねばならない、

時代に突入したのである。