深い河を、渡らない

当時は、

「ドクターX」並みに、

白衣を翻して、ピンヒールで、

大病院の廊下を、足早に歩いていた、

母の姿を思い出す。

 

そんな人が、

父の元に、嫁いできた。

同時に、私達四人の母になった。

 

「私は、貴方達の母にはなりません」

言葉通りの約束を、

今も、貫き通している人である。

 

思春期の子供達は、

其々に受け止めて、それなりに付き合って、

60年近くの年月を越えた。

 

有名な酒造家の一人娘で、

アカデミックな国家資格を取り、

その時代の女性としては、

珍しい、キャリアウーマン。

 

医療とは正反対の、

不労所得者」であり、

「亭主関白」の見本みたいな父と、

何故、結婚したのかは、

今も、謎である。

 

人の命を預かる仕事と、

血のつながりのない家族との葛藤は、

計り知れない。

「母にはならない」と言った意味が、

私もまた、

仕事を持って、知る事となった。

 

「自分と人」との間には、

たとえ、

血のつながりがある親子、兄弟、姉妹、

であっても、

土足で、渡ってはならない、

「深い河」が、横たわっている。

 

科学的発想の母の中には、

常に、確固たるエビデンスがあり、

情には流されず、貫いてきた。

 

実母の膝の温もりも

知らない私の中で、

戸惑いながら、揺れ動く心で、

何事もない顔をして、通過した道がある。

 

この世には、

「無条件の愛」など、

無かったことも、

生まれる前から、知っていたかもしれない。

 

母が教えてくれた、この世の法則は、

「厳しくもあり、新鮮であった」

深い河は、

渡らなかったけれど、

川の向こうに、凛とした母の姿が、

いまは、見えてきたのである。