お金の価値観

「おこづかい」と、描かれたポチ袋に
わずかばかりを入れて、親戚の子供達に、
渡したら、みんなニコニコ嬉しそうな顔をして
受け取った。
年に数回しか会わないので、いつの間に生まれたのかわからない子達もいて、今の子供達の、
流行りもわからず、ついつい、お金を包んで渡すようになった。
私たちの時代は、親からも、お小遣いなどもらうこともなく、年に一回のお正月のお年玉が、
唯一の自分のお金であった。
父は無頓着であったが、おかげさまで、母が行事ごとは、きちんと執り行う人だったので、
嬉しい日が、一年の中で、結構あった。
もちろんお金ではなく、物であったが。
「お金が一番、簡単で、喜ばれていいわ」
と、いつの頃からか、お中元、お歳暮、御礼、
お祝い等、現金、もしくは金券に、大人達のやり取りも、簡素化されて行った。
若い頃は、お金と、自分の好きなものを並べられても、決してお金を取ることはないほど、
興味はなかったように思う。
むしろ、「お金です」と、言う方が、卑しいと思われて、決して金銭を優先しない時代があった。
しかし、現在の日本の中では、お金の価値観は高く、夢も、権力も、名誉もお金で買えるような風潮になって、人生の中で、起こる出来事、事件や悩みを突き詰めて行けば、お金にたどり着くのである。
確かにお金は、力にはなるし、幸せ感も味わえる賜物ではあるが、たくさん持っている人も、少ししか持っていない人も、お金に振り回されて、自分を見失うことなく、生きていかねばならないと思う。
探せば、深く考えれば、お金以外にも、人生の中で、大切なことに出会え、その事を自分の中に貯蓄して行けば、最後には、億万長者にならなくてよかったと思える時がある。
人は必ず死んで行かねばならない。
お金があるがゆえに、人生の最後に、
人間の醜悪や悪意に出会い、死ぬことよりも、辛く、悲しい事を味わう結果になる。
たくさんの地位ある人達、資産家の人達の死と向き合い、思いを受け止め、私が見てきたものは、美しく老いて、安らかなこの世との別離は少なかったように思えるからである。