辛抱の世界

生まれた時は、純真無垢、天真爛漫。
皆同じ。
赤ん坊の時から、人の顔色見る事はない。

スタートは同じでも、環境条件によっては、性格、人格が、大きく変わっていく。
特に、影響を及ぼすのは親である。

三つ子の魂百までと言う言葉があるように、最初に出会う人が親であるから、宿命的。

今の私の基礎となるものは、父親が大きく関与している。
「お父さん」を意識しだしたのは、全て母を通して知ることになったと思う。

95歳で亡くなるまで、本当に親子として向き合えた思い出はない。
実母と継母、二人の夫ではあったが、私にとっては、遠い存在であった。

強いてゆえば、会社の社長のような存在である。
指示、命令は母から伝えられ、冠婚葬祭の時は、上座に座っているおじさんである。

「誰のおかげで、ご飯を食べ、学校へ行けてるのか、考えてみろ」
感の強い人だったので、辛抱のみである。

「この辛抱」から始まった父の教育が、私の個性を形成させた事は確かである。
辛抱の世界は、一見、辛く、苦しいように見えるが、実は、私の想像力を静かに掻き立てていたように思う。

辛抱の世界は、誰にも邪魔されない自由と、私自身を赦す世界であった。
悲しみや寂しさから生まれる美学は、反動から、美しいもの、温かなもの、楽しいものを積み上げて行く。

今の子供達のように、おもちゃやゲームなどない、がらんどうの子供部屋に、ぎっしり並べられた本棚の本たち。

四人の子供達の叫び声もない家の中で、父の気配を感じながら、本の中で、味わっていた夢の世界。

一人の人間としてみれば、社会の中では成功者であり、真面目に働き続けてきた人ではあったが、今も、父の心と融合する事はない。

私と言う人格を作り上げた背景の一つであるが、もはやこの世にはいない父は、私の中でしか存在せず、生き続けるしかなくなったのである。