私に対して、
一度も、笑顔を見せた事のない、
父は、96歳で逝った。
社会的には、
立派な人ではあったが、
家庭の中では、
気の毒にも、「嫌われ者」であった。
当時の「父親像」は、
皆、相対的に、
権力と支配的な、暴君であった。
軍人として、戦火を生き延び、
屈辱の敗戦を経験し、
荒れ野原から、
経済戦争に、突入した。
「やり抜いた!」と言う、
「自負」が、
傲慢さに、拍車をかけた人生、
母も、子供達も、
父の前では、首を垂れるしかない、
時代背景であった。
現代でこそ、
「男女同権主義」であるが、
当時は、
「男尊女卑」の、真っ只中。
姉が産まれ、兄が産まれ、
三番目に私が産まれ、
四番目の妹など、
名前すら忘れ去られた存在であった。
三番目の境界線は、微妙であり、
「いるようで、いらない」立場
最初から、
放置された存在は、
損得は、「はなからなく」、
常に、
父に対して、
意見を述べ、抗い、立ち向かうのは、
私であった。
「女のくせに、生意気」
「女のくせに、お転婆」と、
レッテル貼られ、
果ては、
そんな考えでは、
「野垂れ死にする」とまで言われてきた。
「尊敬できる」父親であり、
「大好きな」父親になってほしくて、
恐怖と、勇気を持ち、
「聞いてほしい」と、
立ち向かった、
切ない思い出が、残っている。
残念ながら、
親子としての、
「深い絆」は、出来ないままに、
父の最期は、
涙一滴も流れずであった。
父は父を貫き、
私は私を貫いて、
まもなく、
私にも、人生の終わりが来るが、
野垂れ死には、しそうにないので、
「良かったやん!」
「親子は、仲良し」は、
ドラマの中だけ、
現実が、多少違っても、
「人間の質」には、
大して、変わりはないのである。