先に生きてと書いて「先生」と呼ぶ

初めて、

出会った時の印象が、

忘れられないでいる。

 

たった、一度だけでも、

数週間、数ヶ月、数年、

神聖な空間を共にした、

「師弟関係論」は、永久である。

 

ほんの少し、先に生まれ、

ほんの少し、専門家で、

大したことのない、人間が、

「教授」するなど、

100年早いのである。

 

知りうる技術と、知識を、

伝える事が、精一杯。

若者達の、

悲しみや、苦しみを、

受け止めれる先生など、

現実にはいないだろう。

 

「教壇」の前に立つと、

不思議と、

生徒達の、顔も心も、よく見えてくる。

 

いまなら、

「大丈夫?」の問いかけに、

「大丈夫です!」と、

元気いっぱいの声で、返す言葉が、

「反対語」で、あった事に、

気づくだろう。

 

一人一人の、

訴えは、さまざまな形で、

表出する。

涙を、笑顔に変え、

怒りを、寡黙に変え、

苦しみを、胸の奥深くに、閉まってる。

 

先に生きたと書いて、

「先生」と呼ぶ。

先に見た現実を、

先に聞いた、出来事を、

先に経験した真実を、

正確に、伝えねばならない。

 

生徒達も、そこから、

受け止める能力を、

希望ある想像力を、

学び取っていかねばならない。

 

先生の背中は、

「もう、ボロボロ」だけど、

今でも、

後ろから「先生」と、声がかかるのは、

嬉しい事である。