「どんな人生でしたか?」の問いかけに

雨が止んで、

窓から、

薄日が差し始めてきた。

 

雨音で、目覚めた朝、

エアコンで、

冷えた部屋が、少し肌寒く、

ベットの温もりの中で、

しばし、夢現である。

 

肉体は、

未だ起き上がれずにいるが、

脳は、素早く覚醒して、

走馬灯の様に、

数年の出来事が、映し出されてゆく。

 

無力な人間が、

ましてや、歳を重ねて、

全ての力を、喪失した人間に、

何が出来るのだろう。

 

「どんな人生でしたか?」

と、問われても、

「絶句!」である。

 

毎日、毎日、

平和が、当たり前、

想定外のことが、起これば、

文句と、不満が聞こえてくる。

 

私も、そうであったが、

人のせい、物のせい、環境のせい

と、不都合なことは、

マンホールの中に、流し込む。

 

追い求めていた美学は、

醜悪であった事、

貫いてきた向上心は、

野心であった事、

 

掴み取った勲章は、

虚栄心と、偽りの誇り、

歪んだ社会と世の中で、

滑稽な、完全武装

 

生きてきた方向を、

恐る恐る、振り返れば、

白黒映像の様な、

心模様が、鮮明に見えてくる。

 

死ぬまでに、見えた事が、

「良かった!」

と、思えるほどに、

日常に、変化が現れている。

 

今、世界は、

衝撃と悲劇が、織りなす混迷の時代、

瞬き一瞬で、

観念を退け、思い込みを排除して、

逃げるか否かを、

決定しなければならなくなった。

 

数日前に、

友人から頂いた、

紅いカーネンションと、白いかすみ草、

花瓶の中で、

どうにも、しっくり収まらず、

 

いっそ、

全部まとめて、短く切って、

花束にしたら、

真っ赤な大輪の、「華」になり、

見違えるほどに、変化した。

 

今なら、

誰かに、

「どんな人生でしたか?」

と、問われたら、

「これからが、本物の人生です」

と、答える私が、どこかにいる。