「神様」の事、知らんけど

私は、

「知らんけど」

生後1ヶ月で、連れて行かれた、

神様との、

初めての「出逢い」

 

物心がついた、幼少期、

綺麗な着物を着せられて、

「神社」に行って、手を合わせ、

「社にいる人は、誰なん?」

 

生まれた時から、

日本の文化、風土、風習に、

何の疑いもなく、

「神様」への、

無条件の祈りと、

「お賽銭」やら「献金」は、つきものである。

 

大人になる過程の中で、

世の中の、不条理、不合理、

運命の「艱難辛苦と喜怒哀楽」、

 

人生、

「花の命は短くて、苦しい事のみ多かりき」

を、経験すると、

人は、

「神様、私を救って!」と、

すがるのである。

 

出会った事もなく、

どんな人かも、知らない、

「理想の神様」を、

自分の中に、創造する。

 

神社、仏閣、教会、事務所、

何処へ行っても、

「神様という人」には、会えないけれど、

「教え」を、

知り、学べる場所がある。

 

居心地の良い、

「差別」のない、居場所を見つけ、

人は、「其々の宗教」に、導かれる。

 

どの宗教の「入口」も、

誰もが、自由に、選べるのである。

「神様」は、

一人ではなく、いっぱいいるのである。

 

心の片隅にある、

崇高なる「信仰心」は、

話を聞いたくらいでは、

決して、芽生えはしない。

 

人は、苦しくなると、

「神も仏も、あるものか!」

と、叫んでしまうのである。