唐突な、
「ミサイル発射」報道が、
いつもながらの、
静かな朝を、変えてしまった。
ひっ迫感のある、
キャスターの声と、
テレビの画面に映し出された、
落下地点の予測図。
普段なら、
「北朝鮮のミサイル」には、
「またか!」の、感が強く、
見過ごしてしまうが、
何時、何処に、何が、
起こっても、可笑しくない、
最近の、世界情勢に、
不安と、恐怖がよぎる。
「日本は、大丈夫!」
「日本には、来ないから!」など、
以前の安心感など、今は無い。
むしろ、
何時、「火蓋は切られるのか!」と、
何処にいても、
心の片隅に、よぎる事がある。
万が一にも、
日本の何処かに、
ミサイルが落ちた時点で、
「平和な日本」は、吹き飛んでゆく。
コロナ感染も、
値上げ経済も、
統一教会の問題も、
非ではない。
当たり前の、日常、
安心、安全の暮らしなど、
一瞬で、喪失する。
日本中の人達が、
一人残らず、「自分事」となり、
どうにもならない、
苦しみと悲しみを、
否が応でも、受け止める運命に変わる。
それが、
今の、ウクライナの人達の、
心情であり、
忘れてはならない、
「自分事」である。