「遅れた国」の「遅れたリーダー」の「遅れた判断」
騙し討ちのような、
10年ぶりの「寒波」に、
翻弄された非日常、
有事の時に、
対策の不備が、露呈する、
「平和の観念」が、
危険予測を、希薄にする。
惨事が起こってからでは、
大切なものが、失われて、
謝罪では済まないのである。
為体の「トップダウン」で、
国や企業の質は、問われるが、
未曾有の混迷の時代に、
一人の人間によって、
国までが、消えてゆく場合もある。
コロナパンデミック、
悲惨な侵略戦争、
世界的な経済悪化、
救いようのない、案件に、
「ストレスを抱えた国」となった。
間もなく、
コロナ感染症法上が、
2類から5類の位置付けになる。
決定したのは、
医療の専門家でもない、
「ど素人」の、政治家達である。
出たとこ勝負など、
決して出来ない、
医療体制を、度外視して、
国民の、
「自己責任」として、ほりだした。
「遅れた国」の、
「遅れたリーダー」の、
「遅れた判断」が、
これまでの、現状を振り返れば
「お見事!」とは、
決して言えない、結果である。
そんな事も
あんな事も
国民は、「知っている」
日本人の気質の、
「甘受」能力と、
「統一」能力が、
バランスをとって、
国民が、維持している状況である。