「引きの美学」が、残っているはず

人は、

「剥き出しの、欲求」を、

無意識に、

押さえながら、生きている。

 

そんな、

「控えめな姿」に、

美意識は、現れる。

 

物心ついた頃から、

自分の周りを、見つめ続けて、

「生き方」を、「生き様」を、

身につけてゆく。

 

家庭の中にも、

学校の中にも、

街や、田舎の暮しの中にも、

「善悪」や「美学醜悪」が、

見え隠れしている。

 

何処までも、青く、

広がる、美しい空に、

「不審な飛行物体」が、

飛んで来る、世の中になった。

 

撃ち落とすのか、

知らぬふりをするのかは、

其々であるが、

「変わらぬ日常」を、装いながら、

「非日常」の、中にいる。

 

ボタン一つ、

掛け間違えれば、

忽ち、

平和な領土は、戦火の中へ、

落ちて行く。

 

人を羨む「嫉妬」が、

「恨み」に変わり、

目の前から、排除する為の、

「根絶やし」の、行為。

 

「消された」ものを、

「失ったもの」を、取り戻す為に、

歴史を越えて、

恨みの種が、芽ばえていく。

 

果てしない欲望を、

自らの掌に、握りしめて、

人間の中にある、

たった「5%の正義」が、

美しい人間の姿を、取り戻して行く。

 

「神様」と言う、

実感のない日本人の、心の中にも、

相手を、慮る、

「引の美学」が、残っているはずである。