「そこそこの人生」だったかも

疲れた身体が横たわっている、

思考も止まり、

静かに、心臓の鼓動が聞こえる。

 

「夜明け前」に、

目が覚めて、眠りに戻れず、

ベットからも、起きられずに、

彷徨っている。

 

もう、この辺で、

「この世とおさらば」も、

いいかと、問うてくる自分もいる、

地球の大地を、走り回れないなら、

諦めるも良いかもしれない、

 

そんな時に、

「心を横切る」大切な人の顔が、

見えてくる。

会えなくなる悲しみや、

話せなくなる寂しさや、

「共にいる時間が消えてしまう」

切なさが、頭をよぎる。

 

人は、

晩年と言われる頃に、

そろそろ、

この世の終わりを、

こんな風に、感じ取る事もある。

 

誰かから、

「私は、もうダメかも」といわれたら

「いえいえ、まだまだ」とは、

答えていたけど、

そう、言いたくなる気持ちも、

わからなくもない歳にはなった。

 

「歳をとる事」も、

「身体が動かなくなる事」も、

「いつかは、死んでしまう事」も、

誰しも、分かっていて、

その日が、来る前に、

その日を、後悔しないように、

その日を、静かに迎え撃つ為に、

今を生きようと、もがいている、

 

振り返れば、

「反省しきり、後悔しきり」

もう少し、

マシな生き方は、なかったのか、

胸を張れる生き様は、なかったのかと

頭をよぎるが、

 

「これしか」なかった、

「こんなもんで」ちょうど、

「これ以上」は望めないと、

謙虚な自分が見え隠れしている。

 

悪い事は、いっぱい登場するけど、

良い事は、思い出しすら難しい。

「貴方が生きてたから」

楽しかった地球暮らし、

「貴方と出会えたから」

美しきドラマとなった人生、

 

そんな事を、

言ってくれる人がいれば、

私の人生も

「そこそこの人生」だったといえるのである