「私のベット」は、
手足を伸ばして、
大の字をかいても、
まだ、ベットが余るほどの、
大きさである。
だから、
畳の部屋がない。
和室でくつろぐことなど、
いまだかつて、したこともない。
「住んだ家によって」は、
靴のままで、暮らせる様な、
インテリアの家具を揃えていた。
海外では当たり前だが、
さすがに、
湿気が多い亜熱帯の、日本では、
「雨の日の来客」は、
ルームシューズに、履き替えてもらっている。
家に帰ると、
食事、バス、トイレ以外は、
ほぼ、
キングサイズの、このベットの上が、
「マイルーム」である。
数十年前、
「IKEA」が、日本に上陸した時に、
一番に購入した、
ソファベットである。
ほぼ壊れることはないが、
家の間取りや、住む人数により、
数えきれないほど、買ってきた。
「フワフワのマット」が、
敷いてるわけでもなく、
「カラフルな夢見る色」でもないが、
そのベットに、
大の字になって、仰臥位になると、
なんとも、
「空になり」「無にもなり」
ベットの上では、
「時間がとまり」
「外界からの音が消え」
「地球」が、
静かに回る音が聴こえてくる。
瞼を閉じれば、
幸せ色の風が、頬を伝わり、
太陽が落ちてゆく、
「黄昏色の空」が、大きな窓を彩る。
今日という一日が、
「幕を閉じてゆく」時間の中で、
心深く、しまい込んでいた、
「魂の過去世」が、元返しでゆく。
間近に迫った、人生の終焉は、
きっと、間も無くやってくる、
こんなふうに、
「小さな葉っぱの船の中」で、
ゆらゆらと、揺れながら、
三途の川を、渡るのかしら?
誰を愛して、
誰を憎んで、
誰と一緒に、
人生を走り抜いたのかを、
思い出そうとしているが、
空っぽの脳が、思い出せないでいる。
「たった一人だけ」の、
誰も知らない、
誰も触れない、
「自分だけの人生感」が、
ベットの上で、くり広がってゆく。