「コロッケひとつ」が、ありがたい

「気の強い夏」に、

「気の弱い秋」が、

出番に遅れて、立ち止まったままの、

「長い夏」が居座っている。

 

季節の変わり目には、

誰よりも早い、

ファッションリーダー達は、

オシャレの先取りも、

未だ、できないでいる。

 

ショップも、レストランも、

デパートも、コンビニも、

秋の彩り、秋の商品、

取り揃えているが、

「値段を見れば」、

も一度見直すほどの、高値に、

手も足も、でないでいる。

 

特に、

野菜や、果物は、

「自然の状況」によっては、

店頭にさえ、姿も現さず。

 

幼い頃、

「お便所」の汲み取り口の、

すぐ側に、立派な身をつけていても、

誰も食べなかった

「いちぢく」が、

何故か、不思議と、

今では、高級果物のランク入り!

 

「果物一個の値段」が、

子供の一食が賄えるほどの額、

お構いなしに、

次から次に、カラフルな果物を、

カートに入れていく、

富裕層の人たちもいる。

 

値段は負けるが、

「栄養では決して負けない」

野菜たちが、

子どもたちの成長に、人助け。

 

あるものの中から、

自分達が、買える物を、手に入れて、

作ってれる人の腕次第で、

「大御馳走!」

 

食べ物も、水も、家も、家族も、

そして、命の保障さえない、

国の人々の、悲惨な姿を見れば!

「食卓のコロッケひとつ」が、

涙が出るほど、ありがたい、

 

変わりゆく、時代の中で、

この政治家達の力量で、

未来の日本は、存在するのかは、

疑問である。

 

華々しく変容してゆく、

国々もあれば、

姿さえ、なくなってゆく国もある。

 

当てにもできず、

依存もできず、

理屈のない世界の中で、

自分の中の「倫理観」さえ、

失わなければ、

どんな小さな島国でも、

未来に存在していると信じていたい