「赤の他人」と、たくさん出会いたい

「赤の他人」が、何が悪い?

と、思う時がある。

今の、若い人達は、

使わない言葉である。

 

言葉だけ捉えると、

意味はわかるが、

言い方一つで、

差別用語や、侮蔑の言葉に、

捉えられる。

 

昭和生まれの、

私たちの親が、、

家族との違いを表すときに、

よく使っていた。

 

赤の他人など、

「家族以外は、信用ならぬ!」

「家族が一番!」

と、言われても、

「そうでは、ないでしょ!」と、

口には出さずに、思っていた。

 

本を読んでも、報道番組を見ても、

社会の中にも、

たとえ「赤の他人」であっても、

人間として、

「身内以上」に、教えられることもあり、

九死に一生」救われることもあり、

「苦しい心」を、支えられてきた。

 

家族という、

環境の中にいるのは、

子供の頃だけで、

そこそこの年齢になれば、

「赤の他人」との方が、濃密になる。

 

今は、家族だけど、

嫁や、婿や、養子は、

元々は、「真っ赤な他人である。

血も通ってなければ、

調べてみれば、

歴史上、

「怨讐の関係」だったかもしれない。

 

「縁あって」、地球に生まれ、

「奇跡の様」に、出会い、

一つ屋根の下で、

家族でも、赤の他人でも、

不幸や幸せを、みんなで乗り越えてゆく、

「醍醐味!」

 

この世に生まれて、

「赤の他人」と、たくさん出会いたい。

まだ、残された時間のあるうちに、

新しい出会いが、あるかもしれない。