聖なる「自己決定」

お婆さんの、

「愚痴っぽいブログ」など、

おもしろくもないだろうが、

それでも、

覗きににきてくださる方々も、

おられるのは、ありがたい。

 

毎日、

同じ事の繰り返しの、

「変わらぬ日常」ではあるが、

一日として、全く、同じ日はない。

 

朝起きると、

今日はどんな日?と、

楽しみでもあるが、

この歳になると、

今日が「命日」にもなる、

可能性も、なきにしもあらず

 

 

そう考えると、

長い様で、短い人生、

華やかなりし、二十代、

「瞬き一瞬」で、過ぎ去った。

 

恋愛やら、結婚やら、

彩りある時間も、大した事もなく

破天荒に、

「ドラマティック」に、「ダイナミック」に、

生きても、よかったかも!

 

死んだら、

人間のかけらも、のこらず、

私を知る人が、いなくなれば、

歴史からも消え失せる、、

 

大いに、

その気はあるのだが、

「地位、名誉、お金」には、

あまり興味はなく、

途中からは、引き気味になって、

違う道に迷い込む、

 

「てっぺん」など、目指せるわけもなく、

いつも、そこそこで終わってしまう。

働き続けてきた、

「労働」から、

いまは、風に吹かれて気の向くままの、

「老道」を、ゆっくりと歩いている。

 

山のてっぺんに、

どのルートで、誰と、どんな風に、

「登っても自由」である。

 

私がきた道は、「迷い道」

出逢った人達は、

「ミラクルボーイ」」と「ミラクルガール」

なかなか、おもろい人生だったと、

今なら言える。

 

自分の人生、

他人のいうこと聞かずに、、

聖なる「自己決定」をすれば、

後悔無しである。