「限界集落」「幻界集落」

朝の5時起き、

ベットの中で、

「検温、血圧、SPO2を」、自己検診

 

出てくる数値で、

安心したり、不安になったり、

一日が、変わる。

 

「他人」に、していたことを、

いまでは、

「自分」でする羽目に陥っている。

一箇所、故障すると、

次々と連鎖して、

壊れかけの、電気製品みたいになり、

「そろそろ、替え時かな」と、

自分で、納得。

 

朝の5時、

一般人は、

まだ、眠っている時間ではあるが、

「早朝のテレビ番組」も、なかなか面白い。

 

限界集落」という、

題名が目に止まり、手を止めた。

映像は、

山深く、谷間に流れる川の側に、

ポツンポツンと、部落がある。

 

名前からして、

横溝正史の「八つ墓村」みたいな、

恐ろしさがあるが、

「65歳以上の高齢者」が、

町民の半分を超えると、

限界集落」と、呼ぶらしいが、

年寄りからすれば、失礼な言葉である。

 

「幻界集落」より、ましじゃん!

と、若者に言われたら、

笑って納得する。

 

村には、

コンビニも、なければ、

スーパーもない、

医者の診療所もなければ、

学校もない。

インフラ的なものは、何もない。

 

時間が来ると、

「廃校の学校」の、チャイムが、、

淋しく、山に響いて物悲しい。

 

風景、背景、環境は、

時代錯誤の様に、

時間は流れてはいるが、

「限界」と言われている、

高齢者たちの、

「経験と知識」は、素晴らしいものがある。

 

お米も作れば、野菜も作る、

電気が来なけりゃ、

「オンドル(床暖)」まで、作る、

ぶつかり用のない、誰もいない道を、

90歳のお爺さんが、運転代行、

 

「昔取った杵柄」は、

宝物の様に、貴重である。

限界集落」といわれようが、

「幻界集落」といわれようが、

国からは見放されても、

最期まで、

自分の事も、人の事も、

当たり前の様に、お互い様に助け合う。

 

何処かの、

「我欲だけが残った」政治家達に、

見習ってほしいものである。