人は、
「生まれ出る場所も、国も、家族も、
自分で選ぶことはできない」
強いて言えば、
最も、難易度の高い出来事や、家族と、
引き合わされる場合もある。
苦しい事が起こると、
身近な人に責任を押し付けて、
「なんて、私は不幸な星の下!」
と、生まれた事を、嘆くのである。
願いは、第二の家族に託される。
つまり、結婚、又はパートナーである。
しかし、
遠い星の人と、奇跡の出会いがあり、
「この人だ!今度こそは!」
と、期待をしても、
現実はそんなに甘くはないのである。
幸せにしてくれるのは、相手ではない。
苦しみや悲しみを、
二人で乗り越えると言うミッションを、
神様から与えられ、成就せねばならない。
暮らしの中で、日常の中で、
学ばなければならない。
生活のためにのみ、
出会わされた訳ではないことを知る。
人は、ともすれば、
相手を恨み、背中を向けて、
自分と戦わず、相手と戦う習性がある。
次々に起こる出来事を、
越えるのではなく、
「自分自身を越える」作業が、
最も、難かしく、必要とされる。
自分の写し絵のような相手や家族、
自分を愛する事ができなければ、
誰かを愛することなど、出来ないのである。
世の中を震撼させているコロナ感染も、
自分との戦いであり、コロナが敵ではない。
「この世で、最大の敵は、自分自身である」
と言ったニーチェの言葉を、思い出す。