ノートルダム寺院の十字架

形あるものは、いつかは無くなると言われて来た。
しかし、ノートルダム寺院の様な歴史的建造物は、壊れようが、焼けてしまおうが、どんなことをしても修復する。

1000年の時を経て、フランスのシンボルだけではなく、もはや、ただの建造物ではない。
宗教的な意味からも、フランスの人々からすれば、神の象徴であり、自分自身である。

焼け落ちた無残なノートルダム寺院の前で、人々が聖歌を歌い祈る姿は、私達日本人から見ても迫るものがある。

歴史的建造物であれ、小さな我が家であれ、
一瞬であったものがなくなる悲劇を、多く体験してはきたが、時が経てば薄れて行くのも事実である。

降りかかる悲しみや苦しみに、
「神様!お救いください!」
と、思わず手を合わせて懇願した事を忘れて、
人々は同じ過ちを繰り返す。

多分神様と呼ばれる方が、人間を悲しみに追いやることは決してないので、悲劇が永遠になくならないのは、人間側の問題である。

焼け落ちた寺院の中で、無傷の十字架が輝いているのを見れば、不信心の私でも、神の存在を知らせる奇跡がある事を認めざるを得ないのである。