時間が止まる恐怖

コロナのせいで、時間が止まった。

非常事態宣言から、自粛要請。

街が止まり、人が止まった。

 

他人と集まらないは、

人と会わない事になり、

ソーシャルディスタンスは、

対人関係が、疎遠になる事になり、

外出を控えては、

消費はしない事になる。

 

毎日、自分のペースで暮らしていたが、

ある日突然、ライフプランが座屈する。

有事に対応して、

プランを変容できる人は、困らない。

 

殆どの人は、

うろたえ、不安と恐怖で、拘縮する。

自分が動かなくなるので、

出来事は起こらず、変化がない。

人と喋らないので、ストレス溜まり、

内なる自分に、落としこむ。

 

流れる時間の中で、

人は、それぞれの形で、時間を使って、

生きてきた。

人と一緒に楽しく騒ぎ、

人の悩みを聞いて、悲しみを共有し、

飛行機や列車で、まだ見ぬ世界に飛んでゆく。

 

誰かに止められたのではない。

自らが、時間をとめた。

一人ぼっちの、誰もいない時間の中で、

人は、どう乗り越えてゆくのか?

 

出来事が起こらないので、

ブログのネタは無くなってゆく。

自分のことしか書けないので、

私日記になってゆく。

そして、最後には、

他人の秘密の話を、こっそり書いてしまう。

そんな結果は、恐怖である。

 

貴重な時間の中で、人も動き、物も動き、

時間を謳歌しなければならない。

もったいない時間などありはしない。

時間は止めてはいけないのである。