「貴方の事、嘘つきと言ってたわ!
酷い人ね!」
と、言いにくそうに、
でも、わざわざ教えてくれる人がいる。
そういう時は、
「長い人生で、一度も嘘ついた事無い人、
いるのかしら?会ってみたいね」
と、答える。
「皮肉みたいな言葉で、人を批判して、
結局、意地悪言ってるのよね!」
と、批判してる人を、批判する人がいる。
そういう時は、
「その人は、小さい時から、
傷つけられて生きてきたのね。」
と言うと、
「そしたらなんで?」と、問い返す。
「小さい時から、影で悪口言われたり、
意地悪されてきた人は、深く傷ついて、
人を許せないのかもしれないね」
と、答える。
こんな風に、
影で言われている悪口を、
わざわざ親切に伝えてくれる人は、
社会のなかでは、
「善人」と言われている人が、多い。
本人は親切のつもりであるが、
実は、悪口を言ってる人より、
罪深いことに、気付いてはいない。
吐いた言葉は、
伝達ゲームの様に、人から人にいく間に、
白が最後は、真っ黒になっている。
人間は、産まれ出ずる場所も、
そして、親も選ぶことはできない。
人格を形成する要因に、
「親の愛」の影響は、大きい。
生まれた時から、
お父さんの膝の上で、
抱きしめられて、育った人は、
男性に対して、概ね嫌悪感が薄い。
社会の中で、
地位、名誉、お金、立場など、
権力のある人が、支配的な人ならば、
まして、親がそうであったとしたら、
本当の愛は受けてはいない。
深い傷となって、
傷口を広げないために、
自分を守るために、同調してゆくのである。
大人になればなるほど、
愛された記憶はなく、
本当の愛を知らない悲しみは、
他者に対して、吐口となる。
だから、
人の悪口を言ったり、
人を批判したり、
人にいじわるする人が、
実は、1番の被害者であるのかもしれない。
そして、
その人を、善人の様に、神様の様に、
批判し、判断を下す人は、
本当の加害者かもしれない。
自分自身も含めて、
人間の悲しみを、甘受する事が出来ない。
いつのまにか、
被害者が、手品の様に加害者になる。
愛されて育っていない私も、
心して、生きねばならない。
加害者にならない為に。