諦めと執着

湯船の中では、

自分の身体がよく見える。

一応、5体満足ではあるが、

20代の頃から比べれば、

月とスッポン、我ながら哀れになる。

 

温かさと気持ちよさで、

足も手も、思いの外、よく伸びる。

歳は手に出るというが、

確かに「白魚の様な指」には程遠く、

竹細工の様な、骨張った手になった。

 

しかし、

左手の指先の爪は、まるで付け爪のように、

長く、美しい。

それに比べれば、

右手の指先の爪は、短く、醜いのである。

 

最近、

何故か、爪が薄く脆くなり、

亀裂がはいって、爪が縦に割れてくる。

手を動かすたびに、引っかかるので、

割れ目まで、ちょん切るので、

伸びるまで、間に合わないのである。

 

この奇妙なアンバランスが、

私の同じ身体の部分にある。

「私らしいなー」と、両手を眺めて、

笑ってしまう。

 

いつも、私の中に、

二人の違う私が存在している。

温かなな優しさと、氷のような冷たさ、

聡明さと、愚鈍さ、

女性らしさと、男っぽさ、

深く、

善と悪が、横たわっている。

全部まとめて、私である事は確かである。

 

社会から、離脱して数年、

世間からは高齢者枠の中で、

死を考える為に生き続け、

幸せではないが、不幸せとも言えない、

諦めと執着の狭間を、行ったり来たり。

 

そんな時間も、

人の人生の中で、必要なのだと思う。