一塊の「皆んな」にはならない。
「皆んな、言ってるよ」
「皆んな、してるみたい」
この手の言葉は、
女性から、良く聞く言葉である。
「皆んなって、全員?」
と、言い返すと、
「そう聞いたけど・・・」
と、曖昧になる。
「皆んな」「全員」が、束になって、
「一人」を、抹殺してゆく。
だから、
村八分にならない為には、
同調するしか無くなって行く。
堂々と、意見を言う人もダメ、
引こうとする人もダメ、
同調圧力は、
静かに、優しく、目に見えない糸が、
繋がってゆく。
昔と違って、
今は、SNSという便利なツールもあり、
一瞬で、世界の果てまで、情報が飛ぶ。
面と向かって、言葉を交わすと、
ごまかしも効くが、
文字でLINEに流れてくると、
「いいね」としか、言いようがない。
人は、
数多くの、素晴らしい言葉を持ち、
それぞれの、複雑な事情があり、
肉体には、血も流れ、
心には、感情もある。
個人にも、権利がある社会の中で、
一方的に、球を投げ込んでくる人がいる。
打ち返す技術や能力のない人は、
ボロボロに、叩きのめされる。
だから、
「皆んな」の仲間入りをしてしまう。
「全員」の一人になる。
戦争も、「お国の為」とみんなが言う。
コロナ感染拡大の中でも、
「皆んなと食べれば怖くない!」になる。
親子も、兄弟姉妹も、夫婦も、友人も、
一人として、同じ人間はいないのである。
考えが違うから、議論する。
好き、嫌いがあるから、カップルが出来る。
容姿が違うから、ファッションが生まれる。
やっと、差別のない、
ジェンダーレスの時代に、突入した。
報道を騒がせている、日本の政府こそが、
国民を無視した政策であり、
真相は闇の中にあり、
メディアが、同調圧力を垂れ流す。
一塊の「皆んな」には、
なりたくないと、思っているし、
価値ある見識を探し出している。