言いたい事を、言えずに、
生きて来た人は、沢山いる。
家族、友人、教師、上司、
あらゆる人間関係のなかで、
傷つく言葉や、
ありもしない事で、冤罪をかけられ、
居場所を無くした人もいる。
深く傷つけられても、
言い返せば、
押し問答や喧嘩になるので、
自ら、「引く」事しか、
選択肢はなかったのである。
本人も分かった上でのことだが、
きちんと、話をして、清算したいと、
何年経っても、
心の片隅に、残っている。
「そうではないでしょ」
と、こちら側の真実を訴えたい、
「言っても、解決にはならない」
と、相手に言っても、品位を損なう、
心の中に、両者がいる。
葛藤を、繰り返しながら、
自分も、一人の人間であり、
知らぬ間に、
人を傷つけて来たかもしれない。
と、謙虚になる事もある。
他者を許すことは、
愚かなる自分をも、許す事として、
心して、生きてゆかねばならない。
小さな傷は、
小さな恨みとなり、
長い時間をかけて、熟成し、
心の一部となり、浸透し、
全ての物事の解釈が、歪んでしまう。
人は、迷い、
揺れ動く中で、人生を形成する。
どこにでもある悪意に惑わされず、
「引きの人生」も、美徳で有る。
何があっても、
真っ直ぐに、清々しく生きれたら、
品性と教養を、
持ち合わせた人と、言えるのだろう。