国会の椅子は捨てないの?
上がる、上がる、
何もかも、物の値段が、上がっていく。
原料不足で、製造減産、
人材不足で、運搬できず、
世界の経済活動で、原油高騰、
「衣食住」+移動の為の乗り物、
人間のライフラインの全ての、
価格の上昇。
ますます、格差が進んでいく。
東京五輪のお弁当の、大量廃棄、
国会に送られてきた、当選祝いの、
胡蝶蘭の、大量廃棄、
ちまちました、給付金の裏で、
大胆に、ガッサガッサと捨てていく、
この現象に、理解不能。
昔からの制度、慣習の中で、
当たり前のように、捨てる神経は、
使えなくなった国民も、
見放すことと、同じに感じる。
一人くらいは、
「ちょっと待った!」と、
言える人はおらんのかい。
慣れ親しんだ小選挙区で、
その街の票さえあれば、
掴んだ椅子は、死ぬまで離さず、
決して、「捨てない」のである。
日本中の一人の一票で、
国会議員を、選べる事が出来たなら、
新しい改革が、出来るかも、知れない。
100年先なら、
進歩も進化もない日本が、
いつの日か、国際社会の中で、
「リスペクト」されるような、
グローバルな大国になるのだろうか?
もし、日本という国が残っていたら、
少しの、可能性はあるかも知れない。
全ての選挙を、
一人一人、国民の一票で決めるなら、
新しい顔ぶれが、国会に並ぶ。