誰でも「先生」になれるけど、

「先生と、言われるほどの馬鹿でなし」

と言う、川柳がある。

「先生」と言われて、

いい気になってるほど、馬鹿では無い、

と言う意味らしい。

 

最近、

世の中に、

数えきれないほどの、

色んな「先生」が、増えてきた。

 

昔は、

教師、医師、弁護士、アーティスト、

などが、正統な「先生」と、

呼ばれる人であった。

 

最近は、

一定期間の現場経験だけを満たし、

国家試験を合格、

公的、民間の養成機関に、

講師として、採用されれば、

誰でも、「先生」になれる。

 

過酷な受験戦争を勝ち取り、

有名大学に、入学、

時間をかけ、お金をかけての

アカデミックな国家資格を取得して、

「先生」にも、なれる。

 

お料理、教える先生、

ジムやヨガ、教える先生、

生徒がいて、先生となるのが、

シンプルな条件ではあるが、

 

一番あてはまらないのが、

政治家の「先生」

「〇〇議員でいいんじゃ無い?」

と、疑問が湧く。

 

文字通り呼べば、

先に生きてる人であり、

利益を追求する仕事ではなく、

日々、自身が勉学にはげみ、

人に教え、人格を、育成する人である。

 

何よりも、

尊敬される人が、「先生」の、

定義だと、思ってきたが、

教壇に立ってるだけでは、

願いは叶わず、

 

私も、かつては、

「先生」の端くれだったが、

生徒に「教える」内に、

生徒から、「教えられた」人間である。