悲しみの雛祭り

実家は、

ただ一人の男子を、

優先する家系であり、

軍人上がりの父は、

厳しく、支配的な人であった。

 

産めよ増やせよ」の時代に、

虚弱な母は、

それでも、四人の子供を産んだが、

父の希望通りにはならず、

男子は、ただ一人、

三人が、女子であった。

 

嘘かほんとか、

最後の妹に至っては、

「女子はいらん!捨ててこい!」

とまで言われたと、語り継がれている。

 

女の子というだけで、

父からの愛情など、

微塵も感じなかった、私達は、

「大っ嫌い!」

と、思う事で、悲しみを乗り越えた。

 

3月3日だけは、

誰にも憚る事のない、

「雛祭り」

 

母の実家に伝わる、古い七段雛、

誰よりも楽しそうに、

飾る母の姿を、忘れない。

 

男子を望む、父の言葉に、

傷ついていたのは、

私達より、母であった。

それでも、

四人の子供達を、

等しく、大切に育ててくれた。

 

「雛祭り」が、来る度に、

美しいお雛様の顔より、

慈愛深い、

母の横顔を、想い出すのである。