人の領域、私の領域

授業が終わり、

階段を降りていると、

いきなり、

生徒さんから声をかけられた。

 

補習で、来られてたらしく、

私のクラスの人では無い。

 

いまから、

約、10数年前のことだが、

なぜか、忘れられないでいる。

 

生徒さん達が、皆、

エレベーターに乗る為、

いつも、

一人、暗くて、狭い、

階段を使っていた。

 

後ろから、追いかけてこられ、

三段ほど下に回り、見上げる様に、

話しかけられた。

 

全体的には、

疲れた感じの様子であったが、

しっかりとした眼差しの、男性である。

 

「先生の授業は、今回限りですが、

最初から、このクラスであれば、

僕は、死ななくて良かったと思います」

 

唐突に、過激な発言に、

心臓が、脈打つのを感じながら、

こちらも、唐突に、

「死を選ばれる原因は?」

と、直球で、返答した。

 

聞けば、

母親が、大病で助からない命、

今で言う、ヤングケアラーである。

昔から、母親とは意見が合わず、

看病はしているが、

暴言を吐き続けていると言う。

 

追い打ちをかけて苦しめる自分が、

やめられず、

看病が終われば、

「自分も死ぬつもりです」と言う。

 

人を許す事ができず、

許せない自分の逃げ道として、

「看病」しているのである。

 

訴えを、聞いた後、

「お母さんは、看病を依頼した?」

「いいえ、親子だから」

 

お母さんには、

お母さんの領域があり、

貴方には、

貴方の領域がある。

 

たとえ、親子であっても、

自分を納得さす為に、

踏み躙っては、いけない領域があるはず。

 

私もまた、簡単には、

貴方の領域には、踏み込めないと、

答えたのである。

 

「ありがとうございました」と、

涙で潤んだ瞳を、

今も、忘れることはない。

 

たった一度だけ、

人生の路地裏の様な道での、

一瞬の出会いと別れ、

どこかで、

「生き抜いていてくれたら、嬉しい」

と、想い続けている。