お誕生日は、嬉しくもあり、悲しくもある。
一年に一度だけ、
誰にでもくる、お誕生日、
「ママ、お誕生日、おめでとう!」
小さな手で、描いてくれた絵を、
プレゼントされた日も、
遠く、いにしえの想い出。
今では、本人も、
「あら、過ぎちゃった!」
と、忘れることすらある。
若い頃は、
生年月日で、占って、
がっかりしたり、喜んだり、
それほどでもなかった人生に、
「こんなもんか」と、
甘受している。
赤ちゃんが、誕生すると、
「末は、博士か、大臣か」
と、子供の将来を、
密かに期待する親もいる。
博士は、兎も角、
最近の「大臣」には、
子供達の方が、
「なりとうない!」と、思っている。
「とんびが鷹を産む」と、
言う諺もあるが、
「鷹」が、そんなに偉いんかい!
と、反論もあるまえに、
最早、「死語」である。
どうあれ、
勝手な、親の期待で、
迷惑するのは、「子供達」
親の我欲に、振り回されて、
不幸な人生も、なきにしもあらず。
分かりの早い親なら、
「元気でさえ、いてくれたら!」
と、切り替える。
希望的推測とは、
裏腹に、
最後の最後まで、
わからないのが、人生の醍醐味である。
この歳になって、
「お誕生日」は、
嬉しくもあり、悲しくもある。
「お誕生日、ランチしよう!」
と、優しい姉が、言ってきた。
「おめでとう!」でもないが、
心に明るい、光が灯った。